なぜ歴史を勉強するのですか?

「なぜ歴史を勉強するのですか?」

 

生徒は素朴に或いは切実に疑問を持っていることでしょう。

この問いについて、より自信をもって答えたいと日々悩んでいます。そこで、歴史学に関する書籍を読み進めているところです。

情報の整理と情報収集の場としてブログを活用しようと考えました。

 

今回は、福井憲彦歴史学入門』岩波書店 2006から学んだことを整理します。

読む目的は「歴史を学ぶ意義や目的に関して歴史家はどのように考えているのか」です。

 

この問いの答えになり得るのは「現在の自明性を問い直す」(9-11頁)という言葉です。

以下は引用です。

「多くの場合、歴史的な過去のことがらを問うなかで、意識的無意識的を問わずわれわれは、自分自身と現在を問い直している」「ごくあたりまえと思っている状態は、はたして現在の世界各地でも通用するのであろうか、歴史的な過去においても通用するのであろうか、と問い直してみるのは無駄ではない。いったいいつから、あたりまえと見なされるようになったのか、と問うのでもよい。」

 

多くの社会科教師(自分自身も)は歴史を学ぶ目的や意義について、「より現在を理解するため」という主旨で説明していると思います。以上の引用は、この主旨の説明をより緻密にできそうです。

 

では、どうすれば「現在の自明性を問い直す」ことができるような授業になるのでしょうか。この点については、これから自分自信考え続けなければならないし、是非みなさんの考えや案を参考にさせていただきたいです。

 

例えば、以外2つの展開が考えられます。①授業で概念的な知識を構成する。②「では現在は?」「ほかの国では?」の問い、同じようなテーマの事象を提示。

 

例えば、近世日本のキリスト教に関する授業において、生徒が現在の自明性を問い直すような展開にできないか。江戸幕府では、キリスト教の禁教政策が進められます。「では現在は?」「自由ですよね、なぜ?いつから?」「自由なのは全世界も?」「中国では聖書のインターネット販売が規制され始めてるいるらしい、なぜだろう?」

https://www.sankei.com/world/news/180923/wor1809230002-n1.html

 

歴史を学んでいなくても、この問いは投げかけられます。ただ、歴史を学んでいる方がより明確に認識できたり、考察できるたりすると思うのですが。