授業実践①

日本史B「秀吉の対外政策と朝鮮侵略

前回の論文を意識して授業を構成してみました。宮本の市民的資質の定義は以下のようなものです。

「(1)歴史に関する記述や語りには価値観が結びつく、そのため(2)私たちは歴史を学ぶことで無意識に他者の価値観に影響を受ける、その結果、(3)歴史に結びつく価値観を反省し、判断することで、生徒自身が歴史を記述したり語ったりできるようになるという資質である」

本授業ではこの資質の育成を目指します。

以下、ワークシートです。

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設定した問いは比較的スムーズに行きました。しかし、「生徒自身が歴史を語ったり記述できるようになる」のかについては納得ができていません。

振り返りの問いは、あまり吟味せずに直前に設定しまいました。自分としてもどのようなことを書けば良いのかイメージを詰めきれず、生徒に申し訳ないことをしてしまったと思います。

振り返りで、次期学習指導要領の「学びに向かう力」になるような問いを設定したいと思うのですが。

同僚の先生からは、以下のような指摘をいだいています。ワークBは秀吉に関する記述の考察というよりかは、家康の行為の考察になるので、やや性質が異なる。今後この授業がどのようにつながっていくのか。カリキュラムの中でどのような位置付けなのか。

 

単元、年間カリキュラムという視点で日頃の授業を考えきれていないのは課題の1つです。

 

ご指摘、改善案等よろしくお願いいたします。

 

 

 

 

 

宮本英征「「真正な実践」のための歴史教材研究」

読む目的は「どうすれば「真正な実践」にすることができるのだろう」でした。

 

「真正な学び」だけでなく、宮本が定義する「市民的資質」の育成も射程に入れた内容でした。

以下自分なりのまとめです。

歴史学者の著書や論文を、文章的・構造的・レトリック的という視点で読み解き、研究者の「真正な学び」を抽出する。(「文章的読解」→著者の章立て・小項目から設定された問いを読解、「構造的読解」→著者の概念的理解がどのように構築されているか読解、「レトリック的読解」→著者の研究方法を読解)

②歴史家の目的や価値観を反省的に分析するために、複数の歴史学者の学びで単元を構成する。

歴史学者の学びに基づいて、発問を組織する。

④歴史に結びついた多様な価値観(≒イメージ)を分析させ、生徒自らが価値観を選択する学習活動を設定する。

 

論文のなかで「市民的資質」は以下のように定義されています。以下引用。

「(1)歴史に関する記述や語りには価値観が結びつく、そのため(2)私たちは歴史を学ぶことで無意識に他者の価値観に影響を受ける、その結果、(3)歴史に結びつく価値観を反省し、判断することで、生徒自身が歴史を記述したり語ったりできるようになるという資質である」

 

https://ir.lib.hiroshima-u.ac.jp/ja/list/HU_creator/%E3%83%9F/cd1046f59aaa943c520e17560c007669/item/42672

 

藤原道長に返歌を送ろう」という単元が具体例として紹介されています。

 

 

 

 

なぜ歴史を勉強するのですか?

「なぜ歴史を勉強するのですか?」

 

生徒は素朴に或いは切実に疑問を持っていることでしょう。

この問いについて、より自信をもって答えたいと日々悩んでいます。そこで、歴史学に関する書籍を読み進めているところです。

情報の整理と情報収集の場としてブログを活用しようと考えました。

 

今回は、福井憲彦歴史学入門』岩波書店 2006から学んだことを整理します。

読む目的は「歴史を学ぶ意義や目的に関して歴史家はどのように考えているのか」です。

 

この問いの答えになり得るのは「現在の自明性を問い直す」(9-11頁)という言葉です。

以下は引用です。

「多くの場合、歴史的な過去のことがらを問うなかで、意識的無意識的を問わずわれわれは、自分自身と現在を問い直している」「ごくあたりまえと思っている状態は、はたして現在の世界各地でも通用するのであろうか、歴史的な過去においても通用するのであろうか、と問い直してみるのは無駄ではない。いったいいつから、あたりまえと見なされるようになったのか、と問うのでもよい。」

 

多くの社会科教師(自分自身も)は歴史を学ぶ目的や意義について、「より現在を理解するため」という主旨で説明していると思います。以上の引用は、この主旨の説明をより緻密にできそうです。

 

では、どうすれば「現在の自明性を問い直す」ことができるような授業になるのでしょうか。この点については、これから自分自信考え続けなければならないし、是非みなさんの考えや案を参考にさせていただきたいです。

 

例えば、以外2つの展開が考えられます。①授業で概念的な知識を構成する。②「では現在は?」「ほかの国では?」の問い、同じようなテーマの事象を提示。

 

例えば、近世日本のキリスト教に関する授業において、生徒が現在の自明性を問い直すような展開にできないか。江戸幕府では、キリスト教の禁教政策が進められます。「では現在は?」「自由ですよね、なぜ?いつから?」「自由なのは全世界も?」「中国では聖書のインターネット販売が規制され始めてるいるらしい、なぜだろう?」

https://www.sankei.com/world/news/180923/wor1809230002-n1.html

 

歴史を学んでいなくても、この問いは投げかけられます。ただ、歴史を学んでいる方がより明確に認識できたり、考察できるたりすると思うのですが。