『世界史単元開発研究の研究方法論の探求 市民的資質育成の論理』①
宮本英征『世界史単元開発研究の研究方法論の探求 市民的資質育成の論理』2018
読書ノートです。
本書は課題を3つ設定しています。P1より引用
(1)世界史教育において育成する、一人一人の学習者が主体的に国家や社会に関わる市民的資質を解明する。
(2)世界史単元で市民的資質を育成するために、歴史の取り扱い方をどのように変革すればよいのか明らかにする。
(3)市民的資質を育成する世界史単元を開発するための世界史教育論、世界史授業論、世界史評価論を連関させ体系的なものとして究明する。
課題(1)が設定される理由は、社会科の本来的な教育目標である市民的資質の育成の検討が不十分であったためだとされています。
市民的資質の定義は、前回紹介した論文にある通りです。本書では、その定義は提示されていません。「学習者が世界史教育を通して言葉と価値観との関係を俯瞰的に再構築し、自ら価値判断を行える資質」(P2)とか、「歴史をパーソナルに語る市民的資質」と説明されています。
「歴史をパーソナルに語る市民的資質」は、「歴史を言説へ、さらに、学習者自身の言説へ再構築し、歴史をどのように語るのかを主体的に反省する資質」と定義されています。(P5)
「歴史をパーソナルに語る」というキーワードは、岡本充弘『開かれた歴史へー脱構築のかなたにあるもの』(2013)の「個々のなかにある歴史」を参考にしたものです。
例えば以下のような記述が岡本の著書にあります。「過去への認識はすべての人がそれぞれのかたちで保持しているものである。(中略)そうした媒介を通して、過去の事実は認識されあるいは想像されている。個々の人々は、様々な媒体をとおして得られる知識をもとに、それぞれによって異なる過去についての記憶を構築している。」(P224.225)
私たちは揺るぎない客観的なものとして歴史を共有しているわけではない、ということだと私は解釈しています。
脱線してしまいますが、岡本はここから「歴史研究者の語る歴史が、個々それぞれにある歴史よりも事実性において優れているわけではない。」(P226)と続けます。これに関しては、共感しきれない自分がいます。この考え方を歴史教育につなげるイメージが持てません。事実性の検討は保留して、記述から読み取れる語り手の目的や価値観を分析する、というならイメージできますが。